雲の見える海で

てまりという一人のオタクの備忘録。けもフレが多め。「とよはた雲」というサークルがあるとかないとか。

和服の空間

ヒトがすなるブログといふものを、我もはじめてみむとて、すなり。

このブログは、Kumano Dorm. Advent calendar の20日目の記事でもあります。何卒。

19日目はブヤコフの記事( https://bujakov-maximovich.hatenablog.com/entry/2019/12/29/172452?_ga=2.67517201.1436448565.1577600882-1822084075.1577600882 )、21日目はたくてんの記事( http://takutenten.hatenablog.com/entry/2019/12/31/015408 ) です。どちらも愛すべき先輩たち。

 

私は4年前の2015年に熊野寮に入り、今年2019年に退寮した。学部1年から4年まで、ちょうど4年間在籍していたことになる。

決して楽しいだけの在寮期間ではなかった。現在は同じ大学の大学院で院生をしているが、熊野寮が楽しいだけの空間であったならば、もう二年熊野寮に住み、炬燵にささりながら友人とおしゃべりして過ごしていただろう。

12月の初めにこのアドベントカレンダーに応募した時から、何を書こうか薄ぼんやりと考えていた。「退寮を決めた理由」でも良かったし、「熊野寮で知り合った愉快な人列伝」でも良かった。締めきりが迫って「ブロックを牽引するつもりで、ブロック自治をぶち壊しにしてしまった話」を書こうと思っていたが、つい先日ちょっとしたことがあって、少し気分が変わった。今日は「熊野寮で和服を着ていた話」を書こうと思う。

 

2015年の春のことだ。指定された部屋に行くと、汚い炬燵にちょっと年上の男たちがささっていた。彼らのおしゃべりは知識とジョークと下ネタに富み、ただひたすらに面白かった。夜が更けるまで馬鹿話に花を咲かせ、炬燵で寝ていたら3日で喘息とインフルエンザを患った。この時出会い、同じ部屋で住むことになった一人の『先輩』が、私を和服の道に引きずり込んだ人である。

 

『先輩』はなんというか、旧制高校が好きな人であり、なおかつ教養主義者だった。雑談の裏には圧倒的な読書量と、自分で考え抜く地頭があった。それらを思想という一本の糸でつなぎ、しょっちゅう下ネタをぶち込んで、欲望の赴くままに、頭の回るままに夜通ししゃべりつくす人だった。夜が更けるとポテトを揚げた。ドイツ語はできなかった。

私はあっという間に『先輩』に憧れ、尊敬するようになった。さて、何かに憧れ、近づこうとするとき、形から真似してしまい、中身が全く追いつかないということが稀によくある。読書量を増やそうとして、図書館で小難しそうな岩波や中公の本を借りては、読まないまま延滞して返した。一生懸命世間を喝破しようとしては、自分の頭がスカスカなことを自覚した。そんな中で、形を真似するだけで良かったものがある。和装だ。

『先輩』は旧制高校が好きな人であり(当時の京大は旧制三高にあたる)、和服、下駄、マント、制帽といったものを一式揃えていた。私が入寮した時彼はすでに4回生だったが、数年前は和服に下駄でキャンパスに通っていたらしい。そんなことを聞いた私は、和服を着てみたいと思うようになった。折しも京都という土地は「祇園祭」「本宮祭」といった、規模の大きい夏祭りが残っており、何の不自然さもなく和装に手を出すことができた。さらに近年は観光客の増加に伴って、街中を着物で歩き回る人が増えていたし、商店街でも簡単な浴衣ならすぐ手に入るようになっている。和装へのハードルは、限りなく低かった。

 

そんな中で、初めての祇園祭がやってくる。『先輩』は、私と、同期入寮した友人の一人を連れて、中古和服を取り扱う小さな店に連れて行った。そこで私は、麻生地でできた紺色の浴衣と、安い角帯を買った。これがすべての始まりである。私は買ったばかりの浴衣に帯を締めて、若者でごった返す祇園祭に、大学で入ったサークルの仲間と繰り出した。初めての着付けだったので、帯がしょっちゅう緩んでは締めなおすという、大変みっともない姿をさらしていたと思うが、一緒に歩いた仲間の多くは、私の格好を珍しがってくれた。おおむね好意的だったと思う。この小さな成功体験は、私にとって宝となった。

 

余談だが、私はいわゆる「イカ京」である。これももう死語であるか。服装に全く気を遣わず、それでいて見た目が汚いのを気にしている、恋愛市場における典型的な弱者だ。ズボンなどダボダボのボロボロを履きつぶすし、シャツも高校時代のお下がりや、スーパーで適当に買った安いチェックシャツだ。冬服などさらに悲惨で、サークルで買ったパーカー以外にロクなものがなかった(さすがにやばいのでユニクロの3000円セーターを今冬に買った)。洋服屋に行って、服を見繕うという経験をほとんど積んでこなかったのだ。そんな私の洋服のセンスは壊滅的で、心だけ恋を覚えても、容姿がまったくついてこなかった。

そんな私にとって、和服を着ている姿を褒められたことが、どれだけ嬉しかったか。今まですれ違う知らない人にどう見られているか、笑われていないかビクビクしながら伏し目がちに過ごしてきたオタクが、初めて「自分の外見を人に見られること」と調和できたのだ。

 

初めて祇園祭に浴衣で突っ込んだ日の夜は、晴れ晴れとした気持ちで寮へ帰った。履きなれない下駄のせいで靴擦れを起こしかけたが、そんなことは気にならなかった。

 

それから、気が向いたときや洋服の洗濯が溜まっている時には、和服を着て外に出るようになった。観光客が街中にウヨウヨいたので、和服で出歩いてもそれほど奇異ではなかった。袴を履かなければ自転車にも乗れなかったが、学校と寮の往復くらいは徒歩でも問題なかった。和服で授業を受けていると、フランクな教師はちょっと構ってくれたりした。歩いても乱れないような帯の締め方を感覚で覚えていった。少しずつ、私のことを「和装の人」として認識してくれる人が寮の中に生まれていた。

 

京都のクソ暑い夏が終わりクソ寒い冬が始まると、浴衣ではやっていけなくなった。そこで厚手の『着物』を入手すべく、京都の街を彷徨うことになった。学生のお財布などたかが知れているので、新品の和服を買う気はさらさら起こらなかった。中古の和服屋を巡ったり、観光客向けのチャチな和服を扱う店をのぞいたりしたが、結局は縁日の屋台で投げ売られているボロ寸前の和服を買うことに収束した。

京都の北野天満宮や東寺では、月に一度大きな縁日が開かれる。そこでは粉もんや射的のようなテキ屋が並んでいるが、アンティーク雑貨や地元の漬物など色んなものも売られている(個人的に押してるのはアンティークの軍刀)。そのような出店の中に、中古の着物を売る店もたくさん並んでいるのだ。5000円や10000円という値を付けて綺麗な着物を丁寧に売る店もあれば、売り場に平積みして3枚1000円で投げ売りしているような店もある。貧乏学生にとって、1000円で服が手に入るのは大変魅力的だった。質は確かに悪かったかもしれないが、和装素人にはそんなことは分からなかった。

 

さて、問題なかったと書いたが、和服で外出するのはやはり大変だった。自転車に乗れないというのが一番の問題だった。自転車はおろか、走ってもそうだが、和装は激しく動くと乱れてしまうのだ。和装で外出するときは、よほど時間がなければならなかった。

そんな中で、熊野寮の中で和服で過ごすというのは、とても快適だった。外出する時ほど気を遣わず、さして大きく移動するわけでもない熊野寮の中という空間は、和服で過ごすにはぴったりだった。温泉宿の中のようなものだ。外とは言えず、かといって裸で動き回るには都合が悪い。そういう時に、下着の上に一枚羽織って帯を締めるだけで、何やら過ごしよい恰好が爆誕するのである。他に熊野寮の中で動き回るのにふさわしい恰好というと、高校で使っていたジャージとか、洗い晒した時代遅れのTシャツとか、そういう布切れである。中古の薄汚れた和服もまた、そういう場にふさわしい布切れとして機能していった。

 

和装が板についてくると、やがて高くてきれいな和服に手を出したいと思うようになる。1000円の和服なんてボロ布じゃねえかとうそぶきながら、一着3000円や5000円で売られている和服を物色するようになった。出店で和服を見ていると、店主から話しかけられることがよくある。いやむしろ話しかけてもらって、そこから買い物が始まるという方があっている。和服は女物と男物と大きく分けられるが、男物は流通量が少ないのだ。そのため、店に行っても男物がそもそも入っていないことが多い。それを回避するためには、店員さんに「男物入ってますかね?」と話しかけるのが、もっとも効率が良い。

 

最終的に、3000円の着物や5000円の羽織を買い、10000円以下で袴を何とか揃え、トンボコートを即決で入手していた。基本的に中古であるので、出店で5000円も出すと結構マシな和服が手に入ったと思う(騙されているかもしれない)。卒業式にはこれらの和服をフルで着て臨んだ。例年コスプレで出席することが名物になっている本学の卒業式だが、その本分は『自分』という存在の価値を確かめることであると思う。私にとっては、和装こそが大学4年間で獲得した自分の価値であった。

 

今は寮にはいない。ありきたりなワンルームマンションで、夜はずっとテレビを垂れ流しながらネットサーフィンをしている。自分以外誰もいないので、夏は下着姿、冬は寝間着代わりのジャージで過ごすようになった。周りには歩いていけるようなコンビニさえない。この部屋を出れば、食堂も廊下もなく、圧倒的に外の世界がある。あの温泉宿の中のような、修学旅行の宿のような空間があったからこそ、私の和装は成立したし、育まれていったんだなと今になって思う。

洋服に金を使うようになったかと思えば、寮と比べて家賃がほぼ十倍になったので、財布はさらに物悲しくなった。大事に履いたズボンには穴が空いた。そろそろユニクロかGUに行かなければならないだろう。

 

和服たちは、引っ越しの時に詰めた段ボールの中で静かに眠っている。