雲の見える海で

てまりという一人のオタクの備忘録。けもフレが多め。「とよはた雲」というサークルがあるとかないとか。

絵を描くことの「楽しい」が分からない

お久しぶりです。

 

絵を描くことに関して、「楽しい」という感情、「したい」というモチベーションが分からない。

自分の心の動きが分からなくなってしまった。

それでいて、絵を描こうとするときに「私は絵を描きたいとは思っていない」という実感だけは感じられる。

 

そのきっかけは、毎晩ソシャゲとtwitteryoutubeをだらだらと見ることしかしていなかったことに焦りを感じていたことだ。

twitterを見ていると、定期的に絵を描いてはツイートする人がいる。

中には半年ほど前に絵を全くの初心者から書き始め、今では200件のいいねをつけられるような一人前の絵描きとして認知されているような人もいる。

この半年、私はただだらだらとタイムラインを眺めていただけなのに、かたやイラストのスキルを成長させ、人生を充実させている人がいる。

この差は何だ。

 

彼らが羨ましい。

絵描き達の輪の中に入りたい。

絵描き達のコミュニティの中に自分の居場所を作り、同人誌に寄稿したりできるようになりたい。

 

これまで散発的に絵を描こうとし、三日坊主でやめてしまうことは何度かあった。

しかし今回はいけるのではないか。そんな、根拠のない希望があった。

 

そんな動機で、お絵かきソフトをタブレットにインストールし、好きなアニメの好きなキャラを描いてみようとした。

真っ白なキャンバスを前にして、何を描いたらいいのか分からなくなり、手が止まる。

ポーズは? アタリは? 塗りは?

分かるわけがない。絵を描いてきてこなかったのだ。

とりあえずまるを描いて、それっぽい輪郭を引いてみる。

線さえガタガタの、小学生のラクガキみたいな絵ができた。

そこで挫折した。

 

絵を描いたことで、自分が自分の絵を好きになれないことに気が付いてしまった。

私は絵を描くことを「楽しんで」いるのか?

絵を「描きたい」と思っているのか?

正解は「否」だ。なぜならば、私が求めていたのは、合同誌に寄稿するという「つながり」であり、オタク界隈における地位だけだったからだ。

こんな絵が描きたい、そんな絵が描けるようになるためには多少のストレスも乗り越える、という精神的な発展の順番を踏むことができなかった。

 

それでも絵を描かなければならない。

「合同誌に参加するような立派な人になりたい」という自己顕示欲が「絵を描く」という営みをただの踏み台に堕とし、「絵を描かなければならない」という鎖になった。

絵を描いても、何も楽しくない。

むしろ、完成した絵を見て、自分はなんと無駄なことに時間を使ってしまったのだろうと思ってしまう。

 

私は何をしているのだろう。

きっとどこかに「あるべき絵描きの態度」というのがあって、今を時めく絵描き達はそれに適合した人たちで、私は間違った態度で絵を描くことに臨んでしまったのだ。

この思い込みさえ歪んでいることは分かっている。だがこう思い込まずにはいられない。

私は間違ったオタクだ。私は間違ったオタクなんだ。

 

こうつぶやくとき、絵を描かず、ただ消費するだけでありながら、その態度を受け入れている人たちが目に入らなくなる。

 

絵を描かなければならないのに、絵を描くのが苦痛なのだ。

いや、絵を描くのを苦痛と言い切ってしまうのは間違っている。しかし、そう思わなければ、絵が上手に描けない自分と付き合っていくことができない。

典型的な0か1思考だ。

頭が痛くなってきてしまった。

二年前も、こうやってMikuMikuDanceから離れていったように思う。

 

私は何をしたら幸せになれるのだろう。